発達障害傾向ですが、「営業」できました。

毎日ひとにキレられていた私が、「人間」らしいコミュニケーションを身に着け、「営業職」として働けるようになるまでの話と、試行錯誤の記録。

摂食障害の記録(3)~拒食症の回復編:外見の激変と、母の機転~

前回は、拒食症が悪化していく様子を書きました。

 

今回は、その後どのように回復していったか、見ていきたいと思います。

 

結果的に、発症から1年半くらいで拒食状態を脱せたのですが、その間、私には一貫して「危機感」がありませんでした。

 

そのため、家族はかなり苦労したと思いますが、彼らのお陰で何とか食べられるようになったのです。

 

■食べられるようになるまで

母の苦闘

・なかなか食べない

前回の「死にますよ」事件の後、すぐ母が行動を取り始めました。

 

何とかして、私がものを食べるよう、それまでにも増して対策してくれるようになったのです。

 

肉抜きの煮物を作ってくれたり、料理の油は極力減らして「見てごらん、全然油入ってないよ~」と私にアピールしたり。かなり必死だったのだと思います。

 

しかし私は、恐る恐る少量食べはするものの、食べる量はなかなか増えませんでした。まだ「グラム単位」で食材を計量しないと、不安で仕方なかったのです。

 

そこで、何とか食べられるようにならないか…と母が目を付けたのが、私の趣味である「おしゃれ」を利用する方法でした。

 

・おしゃれを利用

私は痩せてからと言うもの、今まで着られなかった服を着ようと、おしゃれに目覚めました。

 

体が極端に細くなったため、どんな服も入ってしまい、大抵のものが着られるようになったからです。

 

むしろ、履いたスカートが腰で止まらず、くるくる回ってしまう有様。

 

買い物に行っても、私は洋服売り場に釘づけ。そこで、母が私にこう言ったのです。

 

・ごほうび

「この量が食べられたら、好きな洋服買ってあげる!」

 

この量、というのは、白飯150gでした。それまでは100gしか食べられなかったで、量を50g増やすよう言ってきたのです。

 

たった50gじゃん、と思われるかも知れませんが、まだ1gでも増えたら慌てふためいていた頃。その私にとって、50gはブルジュ・ハリファぐらい高い壁だったのです。

 

さすがに、う~ん…と悩みました。

 

ただ、おしゃれはしたい!可愛い服がほしい!という欲求も、それと同じくらい強いものでした。

  

それで結局、悩み抜いた末、そのご飯を口に運んだのです。

 

・当時の精神状態

この経過を思い出してみると、当時の最優先事項が「痩せてキレイになって可愛い服が着たい」だったことがよく分かります。

 

自己肯定感の低さから始まった病気ですが、そうやって見た目を美しく(実際にはそんな美しくないですが)変えることで肯定されよう、としていたのかも知れません。

 

冷静に考えれば、「それって体を危険にさらしてまでやること?」と思いますが、それしか手段がない!と固執してしまうあたりが病気なのだと思います。

 

逆に言うと、自己肯定感への渇望は、時に命を削るほどの行動を人間にさせるのか、と驚かされます。

 

・見た目

因みに、見た目の話が出たのでついでに言っておくと、「死にますよ」事件当時の私の外見は、こんな感じでした*1

  • 手足の筋肉がそげ、足なんかほぼ「棒」の状態
  • 髪の毛がごっそり抜け、地肌が透けて見える
  • 顔は痩せてるのに、目の周りがむくんで前よりブスに(泣)
  • 背中のうぶ毛が濃く長くなる(え、サル?と思うぐらい濃い。見た時、ショックで倒れるかと思いました。)
  • 皮膚が恐竜のウロコのように角質化し、ガサガサ・ボロボロ(特に口の周り・太もも内側。普通の肌荒れとはレベルが違う。)
  • 足のむくみが酷く、指で押しても戻らない。ゆる~い靴下でもくっきり型がつく。

 

もう究極的に言うと、「こんな風になりたいですか?」って感じですね。

 

この頃撮った写真は一生封印したいくらいですが、先日それが兄弟の結婚式の「記念ムービー」に登場するという悲劇が発生し、彼を小一時間説教したい気持ちでいっぱいです。

 

その後

・好転

母の機転もあり、徐々に食べられるものが増え、1年半後にはものを測って食べる癖がなくなりました。そして、ようやく家族と同じものを食べられるようになったのです。

 

その間、母は自分の時間をなげうって治療に付き合ってくれたので、もう感謝しかありません。

 

休みの度に、遠くの診療所や治療院へ。「効く」と聞けば、どこにでも連れて行ってくれていました。

 

自分が子供にも同じことをできるか、と聞かれると、ちょっと自信がないくらいです。

 

・受験勉強

因みに、拒食症のさなか高校受験も受け、何とか合格することができました。

 

いま思うと「勉強やってる場合じゃねーだろ!」ですが、やはり勉強をやめるという発想もなく、つらい体を押して夜中まで問題集を解いていたのを覚えています。

 

むしろ、自分が危機的状況にあるとは全く思っていなかったので、当然と言えば当然ですが。

 

人間の体は、極度の飢餓状態になると、筋肉のたんぱく質から糖を生み出す「糖新生」を始めます。私の体も、まさにそうやって勉強へのエネルギーを作り出していたわけで、そう思うと本当に恐ろしいです。

 

だって、当時は1日にトマト3~4個に白飯茶碗1杯ぐらいしか食べていなかったのです。基礎代謝も考えると、勉強に回すエネルギーなんて、食事からからは絶対摂れてないですからね(汗)。

 

返す返すも恐ろしいことです。

 

・その後の人生

家族の支えもあり、最終的には拒食症から脱することができましたが、結局その後遺症でホルモンバランスが崩れ、今後も通院が必要です。

 

拒食症のさなかにあっては、その日その日が一生懸命で、なかなかその後のリスクを考えることも難しいとは思います。

 

ただ、病気が治った後は当然「その後の人生」があるわけで、そんな段階で過去の病気の影響が出てしまうのは、辛いことです。

 

もし、当事者やそのご家族の方がこれを読んで下さったのであれば、私のように後あと困らないよう、是非対策を取ってほしいと思います。

 

・発達障害との関係

また、拒食症の原因になった「自己肯定感の低さ」ですが、そもそもの根本原因を探れていたら、大人になってからの苦労を防げたのかも知れません。

 

私が拒食症を発症した当時は、「発達障害」という言葉も一般に聞かれない時代でしたが、実際には発達障害のある方が摂食障害を発症する例も多いそうです*2

 

実際、私も社会人になってから、発達の凹凸によって周囲と同じことができず叱責され続けたことが、自己肯定感の低下の原因と分かりました。

 

いまとなっては後悔先に立たずですが、少しでも私の失敗談が参考になれば幸いです。

 

 

以上、拒食症編でした。次は過食症になったので、そのあたりもいずれ書いていこうと思います。

*1:因みに、身体症状としてはこのサイトにも詳しく載っています。ご参考まで。「摂食障害情報ポータルサイト」http://www.edportal.jp/sp/about_01.html 2018/3/7閲覧。

*2:LITALICO「発達ナビ」https://h-navi.jp/column/article/35025717 2018/3/7閲覧。