こんにちは、
下記の記事で、私が「発達障害」の診断を受けなかったことについて書きました。
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皆さんの中にも、強い「困り感」があるにもかかわらず、診断されずに戸惑っている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
実は私も、当初は「なぜ?」と思いました。しかし、ある考えがきっかけで、診断にとらわれず自分なりの生き方を模索しようと考えることになったのです。
今回はそのきっかけや、診断への考え方についてお話ししたいと思います。
「診断」への考え方
■診断基準について
・自分に当てはまる「基準」
最近、発達障害が様々なメディアで取り上げられるようになり、症状について言及されることが増えましたよね。
Webには「自己診断ツール」もあり、これを使われた方も多いことでしょう。
実は、私にもそういった経験があります。
下記の記事で、「知能検査WAIS-IIIを受けたきっかけ」について書きましたが、受ける前に「診断基準」を目にする機会があったのです。
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そこで見た「アスペルガー症候群の診断基準」が自分に当てはまっていたことも、検査を受ける決心を加速させた要因でした。
その「診断基準」とは、下記のものです。★の部分は、私自身によく当てはまる特徴です。
・ギルバーグらによるアスペルガー症候群の診断基準*1
1)社会的相互作用の重大な欠陥
- 友達と相互にかかわる能力に欠ける★
- 友達と相互にかかわろうとする意欲に欠ける★
- 社会的シグナルの理解に欠ける★
- 社会的・感情的に適切さを欠く行為★
2)興味・関心の狭さ
- ほかの活動を受けつけない★
- 固執を繰り返す★
- 固定的で無目的な傾向
3)反復的なきまり
- 自分に対して、生活上で★
- 他人に対して★
4)話し言葉と言語の特徴
- 発達の遅れ
- 表面的にはよく熟達した表出言語★
- 形式的で、細かなことにこだわる言語表現
- 韻律の奇妙さ、独特の声の調子
- 表面的・暗示的な意味の取り違えなど理解の悪さ★
5)非言語コミュニケーションの問題
- 身振りの使用が少ない
- 身体言語(ボディランゲージ)のぎこちなさ/粗雑さ★
- 表情が乏しい
- 表現が適切でない★
- 視線が奇妙、よそよそしい
6)運動の不器用さ
- 神経発達の検査成績が低い★?*2
なお、私の場合、ADHDの症状にも当てはまるものが多いです*3。「思ったことをすぐ口にする」「ケアレスミスが多い」「失くしものが多い」などなど、これまで私を困らせてきた深刻な症状ばかりです。
発達障害は人によって症状の差が激しく、またアスペルガー症候群やADHDなどの症状が混在するケースも多いと言われています*4。これを踏まえると、恐らく私も混在型なのでしょう。
・診断に囚われずに生きよう
しかし、このように診断基準に当てはまり、検査で知能の凹凸が分かっても、結局診断には至りませんでした。
そのため、当初は「こんなに困り感が強いのに、なぜ診断されないんだろう」と戸惑ったのも事実です。
しかし、「自分自身はこれから何をすべきか」と考えた時、診断にとらわれず前向きに生きていこうと考えるようになりました。
そのきっかけとなったのは、下記の3つの考えでした。
- 診断されたところで、免罪符にはならない
- 診断されてもされなくても、「困り感」は解消されない
- 知能検査の結果という「仕様書」により、「困り感」解消への対策が取れる
■自分を前向きにさせた考え方
・免罪符にはならない
私は、定型発達の方に比べて「苦手なこと」が多い人間です。
しかし、「診断」を受けたとしても、決してそれらが帳消しになるわけではありません。
なぜなら、私が日々接するのは、私の発達障害など「知ったこっちゃない」人たちだからです。
もちろん、「合理的配慮」を求めること自体は可能です。しかし、それも相手によっては限界があります。家族や親しい友人だって例外ではありません。
したがって、診断を受けたからと言って、生活や仕事が劇的に楽になるわけではないのです。
・困り感は変わらない
また、診断を受けても受けなくても、私が抱える「困り感」そのものが無くなるわけでもありません。
もちろん、様々な公的支援を受ける機会は増えることでしょう。
しかし結局のところ、その困り感に対処していくのは他ならぬ自分自身です。ソーシャルスキルの習得も、ケアレスミスの対策も、支援者が代わりにやってくれるわけではありません。
従って、診断の有無に関わらず、「困っている」現状を変えるには、自分自身が具体的に行動を起こさなければならないのです。
・仕様書を手に入れた
それに、私は知能検査を受けることによって、自分の知能の凹凸を把握することができました。
これは、言ってみれば自分自身の「仕様書」です。
下記の記事でも触れましたが、自分の苦手な部分を把握することができれば、それに対して対策を取ることも可能になります。
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したがって、私は自分の「仕様書」を手に入れたことで、これからの人生に向けて具体的な行動を取れるようになったのです。
■最後に
このように、私は「診断を受けても受けなくても、"自分自身が努力しなければ何も変わらない"という現実」を受け入れることで、未診断のまま生きていくことを決めました。
もし診断がほしかったら、恐らく際限ない「ドクターショッピング」を繰り返していたことでしょう。
しかし、「一刻も早く、周囲と協調して生きていけるようになりたい」と願っていた私には、それに費やす時間も労力ももったいなく思えました。
もちろん、私の場合は診断の有無が生活に影響しなかったからこの選択ができたわけで、中には「どうしても診断が必要」という方もいらっしゃるかと思います。そういった方を否定するつもりは、毛頭ありません。
ただ、当事者の中にはこんな生き方を選んだ人もいるということを、知って頂ければ嬉しいです。
以上、「診断にとらわれない生き方」を選んだきっかけについてでした。