発達障害傾向ですが、「営業」できました。

発達障害の傾向がある元・営業が、「人並み」に働くための仕事ハックと「生きづらさ」に向き合う日々を書いています。

「なぜ私だけ叱ったの?」先生に否定された、苦しい思い出

自分だけ先生から叱られた。発達障害傾向の私が経験したツライ思い出。

なぜか、自分だけ先生に怒られた…そんな経験ありませんか?


こんにちは、Katieケイティです。

 

先日、私が小学校の中でとても浮いていたという話を書きました。周りの子供や大人に対して、強い違和感恐怖を抱いていた、という内容でした。

 

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 実は、これに関連して、私にはとてもツライ思い出があります。今回は、そのことについて書いてみたいと思います。

 

皆さんの中も、「なぜか自分だけ先生に叱られた」という方がいるかも知れませんが、私にもこういった経験があるのです。

なぜ私だけ?

■ 「みんなと同じ」になりたくて

・憧れ

クラスの中で浮いていた私は、どうにかして「みんなと同じ」になりたいと思っていました。

 

みんなと同じように、先生に好かれたい。

みんなと同じように、冗談を言い合いたい。

みんなと同じように、同級生を「あだ名」で呼んでみたい。

 

しかし、そのどれも上手くいきませんでした。そして、ソツなく「子供らしさ」を演じてみせる同級生たちを、ただ羨ましく思うばかりの日々が続きました。

 

・「トイレに行きたい」

そんな時、「みんなと同じ」に挑戦できるチャンスが巡ってきました。

 

それは、とある授業中の最中でした。

 

当時私は小学校低学年でしたが、クラスには何人か、授業中に「トイレに行きたい」と言い出す子がいました。

とても幼稚なことではあるのですが、小学生とは言っても、みんな保育園を出たばかりの「子供」です。

 

大抵の場合、先生は「仕方ないなぁ。行っておいで」と母親・父親のような笑顔で彼らを許していました。

 

そこで、私も同じことをしてみよう。「トイレに行きたい」と言ってみよう。と思い立ったのです。

 

・認めてほしい一心で

「この方法を使えば、私も他の子と同じように"可愛げのある子供"としての振る舞いを、許してもらえるかも知れない」

「そうしたら、他の子も私を"仲間"として認めてくれるかも知れない」

「彼らの共有する"暗黙のルール"を、理解できるかも知れない」

 

私は、このように思いました。

 

そして、自分にとってはとても恥ずかしく、できれば言いたくないような幼稚なセリフを、意を決して言うことにしたのです。

 

・悲しい結果

しかし、その結果は、思いもよらない悲しいものでした。

 

「先生、トイレに行ってもいいですか?

 

私は、出来るだけ他の子と同じようにあどけなく、努めて平静を装って言いました。

なのに…その時、こちらを振り返った先生の顔を、今でも忘れることができません。

 

それまでニコニコしていた先生は、急に今まで見たことのないような怖い顔で私を睨みつけました。そして、こう言いました。

 

「そんなことを言うヤツは、幼稚な子だ!がっかりした!なんて自覚がない子なんだ!」

 

・悲しさ、そして寂しさ

私は、雷に打たれたような気がしました。

そして、その場に立ち尽くしました。

 

「なぜ、他の子にはあんなに優しいのに、私のお願いは聞いてくれないの?」

「私と他の子は、先生にとって同じ"生徒"のはずなのに、なぜ私だけが否定されなきゃいけないの?」

 

そう思うと、悲しくて、寂しくて、恥ずかしくて、私は身動きを取ることすらできませんでした。

 

・自分の居場所ではない

先生は、ひとしきり怒鳴った後、「行ってきなさい」と吐き捨てて、私から顔を背けました。

 

私は教室から出て、トイレの方に歩いて行きました。しかし、実際にはトイレには入らず、ただ廊下をウロウロして教室に戻りました。

 

そして自分の机に戻った時、改めてそこが「自分の居場所ではない」ということを、今度こそはっきり、しっかり胸に刻み付けることになったのです。

 

・私だけ否定される

いま思えば、もしかしたらこの先生には、私に対して特に厳しく接するべき「何らかの理由」があったのかも知れません。

 

私は当時から、クラスでも成績が上位だったので、そんな子には「幼稚な言動」をしてほしくなかったのかも知れません。

またあるいは、その日たまたま先生の機嫌が悪かっただけという可能性もあります。

 

ただ、理由は何にせよ、この出来事は私にとって「他の子は肯定され、私は否定される」ということを強く印象付けるものとなったのは事実です。

 

その点では、この先生に直接「なぜあんなことを言ったのか」と、問い詰めたくなる気持ちがあります。それは、30年近く経った今でも、心の中にわだかまったまま消えません。

 

・その後

その後、ほとぼりが冷めてからも、私は何度かみんなの「仲間」になろうとトライしたことがありました。

しかし、やはりどれも結果は同じでした。

 

結局、小学校だけでなく中学校でも、地元のたった数十人の同級生と「同じ"暗黙のルール"の下で楽しく生活する」というささやかな夢は、叶えられることがありませんでした。

 

そして、私は別の高校へ進学し、彼らとの交流も途絶えました。もちろん、当時の先生方とも。

 

当時私を叱った先生は、おそらく今もご存命ですが、彼が生きている間に「あの日私だけを否定した理由」を尋ねる機会は、どうやらなさそうです。